はまなす


 近隣のバラック街に頻繁に出没すると云う、

 出生から年齢、生業、住居、国籍と、
 性別以外全てが謎に包まれた、
なんと云うか、
 ”世渡り上手なルンペン”、と云った

 風体風情の、自称「浜茄子のおじさん」。

 バラック街の迷路のように入り組んだ路地辻角を、
 彩り豊かな果物を満載にした、ぴかぴかの猫車を
 軽やかに
こなれた所作を以て、駆け抜けていったり。

 影追いや、影踏み遊びの最中に、
 影の中で微笑みを浮かべている姿が噂になったり。

 火の見櫓の上でしか興行を行わない
 浜茄子一座の座長を務めていたり。
 
 
変化物を奏するその姿は一見の価値あり。
 三業兼任の素人文楽は魔法のよう。
 
 挙げれば切りがないおじさんの噂。
 ただ、幾ら噂を集めても一個の個人としての
 有り様が浮かび上がってくる事はなかった。

 ところでこの、バラック街を埋め尽くさんと、
 猛烈な勢いで増殖してゆく火の見櫓群。

 制作者も不明なれば、いつ作られたのかも判らない。

 大体、火の見櫓の機能を果たしていない。
 こんなに増えてしまっては、何処からも、
 他の櫓しか見えないんだからどうしようもない。
 火の見櫓交通網なんてものを想像して悦に入ってたっけ。

 ときに、何処からか立ちのぼって
 霞のように拡がった、とある”噂”がある。

 ”おじさんの住居を
 見つける事に成功した者は、

 聞いた事もみた事もない、
 理想の彼の地、桃源郷、
 ゆうとぴあへの行き方を

 こっそりと教えてもらえる”

 浜茄子のおじさんは一個の娯楽商品となった。

 
彼をどこまで追跡出来るかを競う老若男女、
 情報屋に、博打興行、便乗商売。

 皆、忙しなく街中駆けずり這いずり廻った。

 探して見掛けて後追い掛けまわすも、
 角を曲がれば何処にもおらず。

 「成果は芳しく無くとも、その過程が大事なんだ。」
 どこかの権威がおじさんを例に挙げて、
 声高にこんな事を言ったものだから、
 義務教育課程の履修科目に
「おじさんとおにごっこ」なんてものが加えられる始末。

 さて、当事者たるおじさんはどうしていたか。
 相も変わらず其れ迄通りではあったのだが、
 櫓興行に連日の宴は大盛況の大にぎわい。
 其れ以外は、対岸の火事の如く、
 驚く程の無関心振りであったそうだ。

 櫓の下には死人が埋められている。
 転じて、櫓の下には埋蔵金が埋められている。

 こんな噂が流れた事もあった。
 至極当然、櫓の周囲が掘り返された。
 結果、用水路が普及する初端を担い、
 中には温泉を掘り当てた者もいた事から、
 一部の櫓では、足湯につかる事が出来るようになった。

 追跡者はバラックの迷路と櫓の林廊に迷い込み、
 必然として道行観光食案内、宿泊施設に、
 標識看板制作、道路整備に清掃業、果ては闇金貸金、
 漏電ガス漏れ窃盗強盗選挙活動その他諸々悲喜こもごも。
  
 闇市の興隆と歓楽街の混在に火の見櫓の乱立とおじさん。


 今思うに、
 尾ひれ目ひれ物云いふらし、噂を拡げていたのは、
 浜茄子のおじさん本人だったのかもしれない。

 「はまなす」と書かれた表札の噂や、
 夕餉の支度をしている姿の目撃談やら、
 幾多の噂を縫合すると、街の何処かには
 住居が有る筈だったのだけれども、 
 ついぞ発見する事は叶わなかったんだ。

 そして。
 おじさんの住居を、いや、
 浜茄子のおじさんの実在を確認する現象から
 派生した事象が日常と化した或る日、

 おじさんは忽然といなくなってしまった。
 
 
瑣末なひとかけらの断片は、
 あっという間に日常の中に埋没してゆく。
  

 火の見櫓は朽ちる事も無く、
 然しながら、増える事も無くなった。

 そして、主の居なくなった櫓に
 住み着くものが現れ始めた。
 
 新しい住人が、どのような櫓の宴を奏してくれるのか。
 今から愉しみだ。
 

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