なす


歩いている。

俯く事は止めたものの、
視界に映るものは、遥か彼方に聳え立つ尖塔のみ。

天を貫かんとする意図を以て建築されたのだろうか。
なんと云うか、その歪な象形は、
円環状に切り刻まれた茄子を想起させる。

茄子には生姜が合う。
生姜を擦って胡麻油を用意し、
傷だらけ鉄打出北京鍋を強火で暖めて、
熱が行き渡ったところで、程良い加減に火を緩め、
敷きつめた油が踊り始める前に、
多少の躊躇もなんのその、一気呵成えいやっ!
茄子は鉄の質感に抱かれ、行きつ戻りつ、
その心底にある諦観を見え隠れさせつつも、
くるりくうるり、万丈の喜びを周囲に振り蒔く事だろう。

それにしたって、
尖塔はとても遠くて、果てしなくて、
とてもじゃないが辿り着けそうに無いが、
茄子が想起された事で、未だ未だ頑張れそうな気がしてきた。

”あの尖塔の最上階には、浜茄子のおじさんが住んでいるのだ”

目の前にある円環状に切り刻まれた歪んだ茄子は
バラック街の火の見櫓みたいじゃあないか。

煌煌と輝きを放っているであろうこの矮小な私を
浜茄子のおじさんが見つけてくれるに違いない。  

”浜茄子のおじさん”
この、幼い時分の刷り込みは恐ろしいもので、
食卓に”茄子”が挙ろうものなら、周囲の彩りは
たちまちの内にくすんだ鉛色のセロファンに覆われ、
茄子だけが生き生きと放埒気ままに揺蕩い、
茄子以外の食材の味が分からなくなってしまうんだ。

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